【今週の“もう”ひとこと】
成功が最終的なものでもなければ、
失敗も致命的な結末を示すものでもない。
継続する勇気こそが重要なのだ。
ウィンストン・チャーチル
Success is not final, failure is not fatal:
it is the courage to continue that counts.
Winston Churchill
少し考える事があるんですね
なんで“失敗”を怖れるのかなぁと。
ひとつは、自分で自分を“責め”ちゃう。
だれしも、自分に対して
いろいろ思うところはあるのでしょうが、
人としてという以前に、
生物として生命をもらっていると
それを、維持する…生きのびる
という本能的なモノがあるはずなんですよね
そして、生物として
まず頼りにすべきは自分自身
…集団とか、チームのまえに
まず手近にある資源は自分
です。
すると自ずと、
自分を信じる
自分に期待する
っていうのが自然なこと。
…生きのびるための拠り所
そんな本能的な基準があったとしたら
自分の頼りにしていたモノが
“思い通りの結果”を
出してくれないとしたら
がっかり…本能的にがっかり
そうすると、
自分が率先して“責めずには居られない”
ってことなんじゃないかと
…ちょっと長いですけど、これが一つ目。
そしてもう一つが、
そこまでやってきた、行動…努力が
報われないかもしれない
…自分自身の行動を否定することになる。
私達の存在を肯定するために
本当は「今ここに居る」っていうこと
だけでいいのですが、
ヒトとしては、
私≒私の記憶
ってことになりそうなので
これまでの行動…努力が
否定されるのは、
私のやってきたこと≒私
…自分が生きのびるための拠り所
を否定されるのは、しんどい。
そうすると、
“失敗”は生き物として、命のために
おおごと
なんてことになる。
ただし、大いなる誤解があるのですが…
それは
“失敗”というラベルのついた“現状”は
「今ここから」の行動で変えることが出来る。
このことを忘れがちなのです。
もっとも、その手前で
“失敗”というインパクトだけで
自分を責めちゃって落ち込んで
自分のやってきたことを否定して落ち込んで
いるので、この辺りのこわばりから
整えて行きましょうか。
そのための第一歩が、
「やれるまでやる」
って決める事
その小さな決断が、最終的に、成功とその先に
連れて行ってくれるはず。
さて、次の一歩踏み出しますか。
(初出 アメブロ “想いから実現への翻訳家 コミュニケーション・イノベーター”2018.2.26 改変)
https://ameblo.jp/awakeners
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