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「相手には相手の世界があっていい」について考えてみた

「相手には相手の世界があっていい」について考えてみた

どんなに相手のことを考えて

言動をしたとしても

それが、相手の想いに適うかどうかは

別の話です。

そして、どれだけ丁寧に

こちらの伝えたいことを抜けもれなく

伝えたとしても

あいてがこちらの考えたとおりに

理解してくれるかどうかも

また別の話。

物事には、

いわゆる起こっている“事実”

と呼ばれるものがあります

全ての人がその“事実”を

100%同じように

捉えているかというと

そうは行かない。

ひいき目や、先読みがなかったとしても

人は、多かれ少なかれ

自分の都合の良いように

“事実”を捉えるもの。

それぞれが勝手な解釈で“わかった!”と

しているとしたら、そもそも、話はかみ合わない。

だから、日々、

ちょっとした苦労をしながら

相手を理解しよう

自分を理解してもらおう

とするわけで。

…相手のことを知ろうとしていなければ

 自分の事を知ってもらおうとしていなければ

 伝わるものも伝わらないし

 そもそも、伝えようとしているのか?

 なんてことになるんじゃないかと。

ああっ、まぁ、一部の人には

気になっている、

あのドラマとあの学会との話で

そう思ったわけで。

 (個人的にちょっと狭量に思えて

  ガッカリした自分もいたんですけど…)

…一般の人に伝わる“一般的な言葉”

 であっても、誤認や誤用があるものですから

さらに、一般の人になじみのないことを伝えるのに

もし、誤解をされるような表現をされたとしたら

それを、誤解してしまった人のために

誤解を解くように、分かりやすく伝え

ってだけで良いんじゃないかなぁ

乱暴な意見かもしれませんが、

一般の人が誤解してしまうほど

興味を持たれていたとしたら

それはそれで、一般の人にも

広がり始めているという意味で素晴らしいこと

なんじゃない?

などとも思ったりします。

…加えて、誤解と言っても

 ある“事実”の一側面“しか”伝えてないだけだった

 と言う類のもののようにも思えますから。

僕としては、

起こったことを今、ここの自分が

どう活かしていい未来に繋ぐか

…それでいいんじゃないだろうか

だって、人は、多かれ少なかれ

自分の都合の良いように

理解するんですから。

反応を見てから、次のアクションをすれば良い

だけのことです。

って、期待が大きいと

色々言いたくなっちゃうんですね

…自戒を込めて。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2017.2.24 一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/

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