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▽▲“情報”は実のところ“どこにあるのだろうか?”▲▽

▽▲“情報”は実のところ“どこにあるのだろうか?”▲▽

ネットで情報発信をしていながら恐縮なのですが…

ネットには情報が溢れている。
しかも、安易なコピペというか、何処かで書いてあったことの
引用記事が溢れる、そのリンクが溢れる

と、数年前の記事が、あたかも最新の記事のように
タイムラインやニュースサイトに流れ

揚げ物でいえば(なんで食べ物?)二度揚げ三度揚げ
…同じ情報で胸焼け

また、リンクはともかくも、引用に関しては
元の記事をきっかけに、引用した側の“主観”が加わりますから

「元の出来事はなんだったんだ?」

というくらい、伝えていた元々の“情報”が劣化して
伝わっていたり(さらに全く伝わっていなかったり)します。

情報は多いけれど、そこに含まれる“事実”は少ない。

もしかすると、今の私たちが知っている情報は
江戸時代に、大阪や京の情報が、
人づてに伝わってくるクオリティと同じくらいなのかも
しれません。

始末に悪いのが、その情報のスピードと量、
さらには、情報の残留時間が
江戸時代の何十倍、何百、何千倍だということ。

仮に、だれかを、誤解でバッシングしていたと
後で分かっても、なかなかその情報は
修正しにくく、まるで“本当”のように留まることも…

情報過多でかつ、
その情報のトレンドに流されやすい
この時代。

気づいている事、知っていること と
丁寧に向き合うこと
必要ではないか…そう思うんです。

で、少し、範囲を拡張して、
自分が何気なくいるこの瞬間

何がどんなふう見えているか。
何がどんなふうに聞こえているか。
何がどんなふうに感じられているか。

…普段なかなかそこまで細かくは意識しない
 意識の仕方

そしてときに出会う問題にも、
そもそも、それって、自分にとって
どこがどのように困るんだろうか?
と問うてみる。

それを拡張すれば

自分が感じている
ストレスやフラストレーションは
どのように困るんだろうか?
その中心はどこで、境界はどこだろうか?

…普段は、「“困った”の感覚」に
 近づかなかったので、探求しなかった
 
「“困った”ところの“安全地帯”」を
みつけることもできる。

これが、
気づいている事、知っていること と
丁寧に向き合うことの具体的活用例。

・・・これを、ワークショップやコーチングで
   一緒に探求しません?
   今日、お届けした、情報…提案です。
  
そして最後に、この僕の提案も、
「それって本当?私にとって必要?」
そんな自問自答のきっかけに
して頂ければ。

今回の目標は達成です(笑)

©daseugen / 123RF.COM
(初出 Facebook NLPフィールドCafe2016.9.7 一部改変)

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