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自分に「責任を持つ」について考えてみた

自分に「責任を持つ」について考えてみた

何年か前
イギリスの国民投票
何年か前
アメリカ大統領選挙
・・・国を二分して、他人(国)ごととして
  「なんでそうなるんだ?」
という結果に、これは、
他人事ではない…そう考えさせられた。

結果はどうあれ、自分がその結果を取る
つもりで意思表示をすること。これは大切なことだ。

そして、時間は望むと望まざるとにかかわらず流れる。
そして、こちらの都合とは関係なく状況は変化する。
周りが変化すれば、自分にも“変化”が要求される。

変化への対応には、“エネルギー”が必要になる。

変化に
追いつくにせよ、逆らうにせよ
対立するにせよ、順応するにせよ
だ。

きっかけは別として、最終的な決断の瞬間
自分のそれに責任が取れるか・・・納得して歩き出せるか

来月には、日本でも国政選挙がある。

いろいろな論点があり、論戦を戦わせている
(っていうか、希望を言うとシンプルイシューではなく、本質なところ戦わせて欲しい)

そしてその十分とは言えない情報で、
投票をする、放棄するにせよ
その結果としての負担を担うことが責任だし
それが嫌で
もし、今の日本の選挙制度に不満があるのならば
それに声をあげて活動を始めるのも
一つの責任の全うの仕方かもしれない。

ただ、”反対”、”打倒”だけでは、
少なくとも僕の一票で負う責任を
担うには見合わない。
…冗談じゃない付き合ってらんないとおもうのだ

その先の未来の”ため”に今の負担を担って欲しい
・・・政治生命をかけて
くらいの人を見つけたいと

それが、
  自分の生きる環境である
  国の舵取りに参加する行動として
最終的に
  自分が“生きる”人生の責任を全うするために。 

自分が“生きる”権利を全うするための、
“責任”を果たすってことなのかな。

ふと、朝から、考えてしまった(><)

ちょっとでも、喜んで責任を果たすために。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2016.7.1一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/

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