新しい事を始めようとするとき
多くの人が
「自分に出来るだろうか?」
ある種の疑念を持ちます。
その疑念というのは、
“(その新しい事を)やり切った”
という経験…現実の証拠を
まだもっていないので、
出来ている未来と、
出来ていない未来とが
自由に想像できます。
なにしろ、結果については
まだ真っ白なキャンバス。
どう描くかは自由…全ての可能性があります。
…自分にできるという想定をしても
自分にできないという想定をしても
本来はどっちでもいいんです。
ところが、その始める事を
重要だと思えば思うほど
成功したい、失敗したいと思えば思うほど
「出来ていない未来」は自分にとって
許容できない想定になります。
…選択の幅、未来の自由さが減ります。
その上、望んでいる未来について
“現実の証拠がない”
と疑念を抱いている…としたら
それはそれは、窮屈な見通しになります。
本当のところをいうと
“望んでいない未来”についても
“現実の証拠がない”
と疑念を抱いていいのですが、
そもそも、その選択を
自分で“許せない、許容できない”と
思考から外していたりするので
わたしたちが
“疑念を抱く”のは
望んでいる未来だけに
なってしまいがちなのです。
つまり、
“成功しなくちゃ”、“失敗できない”という思いが
不確実さでは、五分五分のはずの
“成功する”、“失敗する”
への自分の見方を
勝手に歪曲して、
「“失敗する”かどうかはともかく、
“成功する”ことには疑念がある」
ほぼ、上手く行くことに対してだけ
疑念を持ってしまうのです。
それが、不安の正体だとしたら、
上手く行くかどうか、は
まだ起こっていないこと、
現実ではありません。
ましてや、“不安”そのものは、
問題ではなく、
そのことに“捕らわれて”、
・上手く行くための準備
・失敗しないための対策
・選択を誤った場合の対応策
へ意識が向かないことが
問題なのかもしれません。
とはいえ、不安な気持ちは、
私たちが、“生物の進化の過程”において
「不意に備えろ」という
身体を守ろうとする反応です。
ただ、私たち人間は、
その“不意”の時間的範囲が
“時間”とか“未来”とかいう
概念を持ったために、
今すぐに備えなくても良いことに対しても
「危険だ!備えろ」
と身体の反応を元に“勘違い”して
しまっているのです。
このことについて、
実際“今ここ”が危険ではないときに
気づいておいて下さい。
そして、
“不安だ”、“やばいぞ”
と身体で感じたとき
思い出して見て下さい。
“具体的にいつ、どこで、どのように危険なのか”と。
それが考えられるときには
実際に起こりうる“課題”に
準備が出来ますから。
コーチとの会話では、
あなたが“思い通りの未来”を
実現するときに、
予想されるハードル、抵抗、不安
についても丁寧に
“準備”をしていきます。
…想定外を減らしていくわけです。
私のコーチングの場合、
想定外が起こっても、
“その状況を活かす”
やり方も同時にトレーニングしながら
コーチングを進めていきます。
…あなたが気づいている以上に
あなたの対応力、応用力とその素質は
高いのですから、
ぜひ、コーチとの会話…コーチングで
あなたの“思い通りの未来”を現実化する
一歩を踏み出してみませんか?
では、また来週。
(初出:あなたの相棒、賢いコーチの使い方
http://aibou-coach.blogspot.jp/ 2017.2.8改編)
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