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「そもそも」を考えてみると・・・

「そもそも」を考えてみると・・・

数年前辺りから、論文のコピペが問題になっています。

某大学では、コピペ判別ソフトを使って
取り締まるやに聞いています。

そもそも、コピペの論文
倫理的、権利的な点においては
問題だとは思いますが、

そもそも
学問の発展という点では
どうなんでしょうか?

じゃ、コピペじゃなく、
自分がそれを手書きしたら。
単に表現を変えたらいいということとは
本質的に違っている気がします。

例えば、有名な
「授人以魚不如授人以漁」
(他人に魚を与えるよりも、釣り方を教える方がよりいい)
いろいろなところで引用されていますが、
この言葉、誰の言葉もあやしいのです。
(老子(あるいは孔子、あるいはユダヤの言葉)といわれています。)

その昔、紙がなかった頃、言葉は
布を使っていました。
その布も効果なので、多くの事は
口伝で伝わっています。

これも精度は別として、ある種のコピペ。

さらに言えば、コピペは手段であって、
単に「大量に」「他者の文章の」引用が可能になった
だけのこと。

言い換えれば、指導者の「見抜く力」が要求される
様になったと言うこと

さらに言えば、大学や研究機関が
その本質を問われていると言うこと。

以前、大学での指導教官の先生は
「本気で学生の論文を指導できるのは多くて、4~5人だ」

文系の学部でそれですから、
多くの日本の大学は、本当に学ぶに足る
あるいは、先生方が指導するに足る
学生が論文を書くに足る
環境なんでしょうかね?

むしろ、本質は、
「コピペ」だろうがなかろうが

自分の言葉を真剣に読んでくれない相手に
真剣に言葉を紡ぐ気になれないだけだとしたら

そちらの方が、言葉として、文章として
危険なことではないかな

そう思います。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2014.4.22 一部改変)
http://ameblo.jp/awakeners/

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