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ふと、虫のこえを聞いてみる

 どんなに美しい音楽も・・・

 この原稿は東急線近くのとあるカフェで
 書いています。
 このお店では店内にジャズの曲が流れています。
 私にとっては、この曲が

  邪魔なとき と 心地良いとき とがあります。

 何を書こうか迷っていて、原稿に意識が向かない
 考えがあちらこちらに散らばっている感覚の
 ときには、音楽は思考を邪魔する“雑音”
 となります。

 一方で、すっかり考えの方向性が決まり
 言葉を選んだり、書いている内容の風景や
 情景を選び始めているときには、
 音楽は思考を膨らませる“呼び水”となります。

 もちろん、それぞれの状況に
 あっていない曲がかかり出すときが
 ないとは言えないのですが・・・

 かかっている曲とは関係なく
 “私”は音楽から全く正反対の結果を
 受けているのです。

 あきの夜長を鳴き通す、
      あゝおもしろい虫のこゑ。

 今住んでいるところ近くでは、
 聞くことが少なくなりましたが
 実家に居た頃は、秋になると
 こおろぎやキリギリスのこえを
 聞いていました。

 そのこえを聞いて「秋だなぁ」と
 実感をすると同時に、
 活動的で力が入りすぎていた感のある“夏”から
 ゆったりと自然で楽な感じのする“秋”への
 変化を感じていたのかもしれません。

 しかし、社会人になって数年は
 そうではありませんでした・・・

 秋は“決算”時期、営業担当の僕は
 無力なりに、追い込みの波に巻き込まれ
 こおろきだのマツムシだののこえではなく、
 それを慌ただしさをもり立てる
 音、雑音として聞こえていたのかもしれません。

 ・・・聴いていたのではなく
    聞こえていた…だから“雑”音なのでしょう。

 自然の“音”として“鑑賞する”としたら…

 虫のこえが“雑”音に聞こえるとき、
 私達は、そこから“創造力、想像力”を
 排除しているのかもしれません。

 全ての状況でそんな“余裕”があるかは
 わかりませんが、
 少なくともほんの数分であれば
 その“余裕”、“雑”音を、虫の音(ね)と
 聴くことのできる“余裕”を
 持つことはできるのではないでしょうか?

 もっとも、その数分でさえ、惜しいとしたら
 そこにある“雑”音は気にするヒマさえ
 ないはずですから
 もしその“雑”音にイライラさせられている
 ならば、虫の音(ね)として
 聴いてみるのは如何でしょうか?

 同じように、
 
 晴れた日であれば
 秋の青空を絵画でも鑑賞するように
 眺めてみる。

 暖かな陽射しや、さわやかな風を
 温泉やお気に入りの場所に居るかのように
 味わってみる。

 きっと、いつもとは違った
 時間の流れ方を見つけて、味わうことが
 できるはずです。

 そんな、
 スローテンポな秋の夜長を
 楽しむのも、そろそろ良い時期に
 なりそうです。

 では、良い週末を!

(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2013.8.30 一部改変)
http://nlpfield.jp/mailmag01/

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