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「厚意にはすなおに“感謝”したいんだよね」について考えてみた

「厚意にはすなおに“感謝”したいんだよね」について考えてみた

人から厚意を受ける。

有形であれ無形であれ、もてなしを

受けるのは、有り難い…でも

ちょっとくすぐったい。

…もっと昔は、照れくさい

 さらに昔は、申し訳ないという感じを覚えた。

 その申し訳ない感じを覚えたくなくて

 なんだか迷惑に思えたりもしたこともあった

そう、厚意をうける、いろいろと

もてなして下さることは、本当にうれしいし

ありがたい…まさに有り難い。

そこに、変なプライドみたいなモノが

頭をもたげてくると

その有り難い思いを拒否しそうになる。

心からもてなしてくれているとき、

どちらが上とか下とか

そんな思いはなくただもてなしてくれている

はずなのに

受ける側が勝手に

自分を下げたり、相手を上げたり

して、意地を張ってしまう

厚意を受けずにお断りする

そうすると、一旦、

何かをもらうということがなくなるので

相手との上下がなくなった気がするけれど、

相手の思いを受け入れられなかった

…という、器の小ささを露呈していたことに

 後で気づく。

どんな思いであれ、相手の思いを尊重する

それが出来ていなかったとしたら

関係の上下どころか…人として…ねぇ

実際に有形のものについて、

受け取る受け取らないということには、

そのときどきの判断が

必要で一概には言えないけれど、

相手の厚意、思いはありがたく“感謝”したい

そう思います。

で、何が上下を作るかって考えてみたら

その“思いを受け取る”ときに

それを直接“恩返し”と考えるから

厚意を受け取ることが、

 「借りを作る」感じになり

結果、自分が下になった気がする

という発想を過去に持っていたらしい。

今は、もちろん感謝するのと同時に、

自分がいずれかのタイミングで

誰かに貢献する、もてなす

そのタイミングに丁寧に貢献、あるいはもてなそう

 …ペイフォワード的に

結果、あるタイミングでは、

全く別の人宛になるかもしれないし

別のタイミングでは

見た目“恩返し”になるかもしれない

それは必要な“貢献”のタイミングの話

だから、互いに“貢献”、“もてなし”の

キャッチボールでいいんじゃないかなぁ

…といってもときどき

 昔の「なんか借りを作る感じだぁ」が

 立ち上がっては来るのだが

その心持ちとも上手く折り合って

行こうかなと思う朝です。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2017.2.3 一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/

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