【今週の“もう”ひとこと】
選択すべき時に選択しないということ、
それそのものも“選択”なのだ
ウィリアム・ジェームズ
When you have to make a choice and don’t make it,
that is in itself a choice.
William James
思いがけない問題に遭遇する。
…なんでこんなときに、こんな目に
なんて思うこともある。
…はぁ、ついてないなぁ
と思うものの
そもそも、
何でそんなときに、そこにいたのか
何でそんな思いがけない目に遭うのか
と、考えてみると
そんなときに、そこに居るという選択を
“そんな目”について想定しないという選択を
したから、
こんなときに、こんな目に
遭った…と言われたとしたら
いわゆる「ぐうの音も出ない」というわけだ。
何も、
全てのトラブルの責任を全て獲ろう
という話ではない
まず、覚えておきたいのは
今、ここ、そしてこの状況にいるのには
自分が何かしらの選択をした結果だ
ということ。
言いかえれば、自分の結果を変えたいと思えば
自分の選択の仕方を変えればいい。
つまり、自分でできる範囲が増えるのだ。
一方で、事ここに至って
天災や不可抗力…ある瞬間には
一人の人間には抗えないことも
あるということ。
都合の良い言い方をすれば
自分で変えられることについては
自分の責任について探求する
自分の力ではどうしようもないことは
自分を責めずにおく。
どちらも、
自分の置かれている状況と
どう付き合うかの方法
処世術と呼ぶかもしれないし
自分らしく生きるやり方と
呼ぶかもしれない。
ただ、どちらかに偏っていると
人生が、すごく厳しいものだったり
人生が、すごく流されるものだったり
するわけだ。
だから、自分にとって丁度良い
“責任”と“無責任”
のわりあいを決める
…ここを選べば良いって思うわけです。
なにをいっても自分の人生
人の基準ではなく
自分が、どの範囲まで責任を負うか
決める
それが、自分らしい人生の一つの鍵
なのじゃないかな…。
(初出 アメブロ “想いから実現への翻訳家 コミュニケーション・イノベーター”2017.7.3 改変)
https://ameblo.jp/awakeners
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