私達には“類推/推量”する力があります。
・・・そうせずにはいられません。
未来について考えるとき、
私達は自分のやりやすい方法で
その情景や結末を類推します。
その結末が望ましくないと“不安”と呼び
その結末が望ましいと“期待、希望”と呼びます。
私達にとって最も確かな情報は、
今ここで覚える、五感体験。
その体験の瞬間以降、
私達の持つ情報はある意味劣化します。
注意を向けていた感覚情報以外は
どうもはっきりしない。
たとえば、今、この記事を読んでいるときに、
自分の呼吸の深さにどのくらい気づいていたかというと
はっきりしないはずです。言われて、
「あぁ。。。」と気づくくらいでしょうから。
ですから、過去の記憶も
多くの部分を“類推/推量”で
いわば、勝手に補足しています。
これが、私達の生きている世界と私達の関係。
私達の大部分は、
「たぶん・・・だろう」
「きっと・・・に違いない」
に違いないのです。
ただし、上でお伝えしたように、
自分が注意を向けていたコトについては、
確かな情報の割合が高い。
この微妙な、
“確かなこと”と“…らしいこと”との
なかで、巧みに生きているのです。
・・・私達が気づいている情報は
“類推/推量”が加わっている
すると、叱られる場面でよく聞く
「何でお前は何度言ってもわからないんだ」
という状況は、同時に話し手が、
“何度言っても伝わってない事”に気づいていない
ということ。
・・・どっちもどっちとも言えますし、
気づいた方が、やり方を変えないと
叱り損の、叱られ損、互いに時間のムダ
だったかもしれませんね。
伝わっていない、理解してもらえていない
ということは、
相手がその情報に適切にたどり着けていない
状態です。
まさに、地図が違っている。
その地図に気づいて、相手が“今”
伝えたいことにたどり着くための
地図を提示することが必要です。
互いに、分からなければ、
違う情報を聞いたり、伝えたりしなければ
必要な情報が不足するのですから
・・・勝手に相手に“類推/推量”されますよ。
会話を進めるのに、
互いを知るのに・「追えば逃げて逃げれば追う」
は、マズいですよね。
image credit: bambulla / 123RF ストックフォト
(初出 Facebook NLPフィールドCafe2015.12.16 一部改変)
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