【今週のひとこと】
運命は、それを受け入れるものを導き、
それから逃げようとするものは無理矢理に引っ張っていく
(ルキウス・アンナエウス・セネカ/ローマ帝国の政治家、哲学者、詩人)
Fate leads the willing and drags along the unwilling.
Lucius Annaeus Seneca
考え出すときりがないのですが…
どうして、20世紀の日本に、それも雪国の金沢に
僕は生まれたのだろうか?
そして、気がつけば、
どうして、今、東京に住んでるんだろうか?
その理由を“運命だ”と呼んでしまうと
なかなか“個人の力”では如何ともし難い
なんてことになります。
実際のところ、今、
仕事のことやらを外して考えれば
東京に住み続けてもいい
東京を離れてもいい
そのために上で言う“仕事のことやら”とやらの課題を
自分の“意思”で解決する行動を【始め】たっていいわけで。
それに、“今、生きている”って言うこと1つ取っても、
“自分”が今ここで生きているのは、
生きるのに適切な、
気圧、酸素濃度、気温、湿度、
水、食べ物、インフラストラクチャ
それが整っているから。
そんな好条件も
そこには、変えられるモノと
変えられないモノがある。
そして、実際の所、変えられないモノの中には、
それとの付き合い方を変えられるモノがある。
…言ってみれば「運命」との付き合い方
せっかくなので、
自分が自分の「運命」…人生の主人公に
なっちゃえば?
って話です。
そのためには、ときどき出会う
制約や限界(と名付けてしまうもの)との
付き合い方を探求したいわけです。
そう、
変えられそうもなかったモノの中の
変えられそうな部分
変えられなかったモノとの付き合い方の中との
よりよさそうな付き合い方
自分が“主”人公になるってことは、
できる限り、自分に都合の良いように
わがままに、生きるために
まぁ、工夫というか苦労というか
すれば良いってことかもしれない。
自分が、わがままに生きられるとしたら
少々の苦労は、
必要経費、
必要な労力の投資だ
と思うのですが…。
皆さんは如何思われますか?
(初出 アメブロ “想いから実現への翻訳家 コミュニケーション・イノベーター”2016.9.5 改変)
http://ameblo.jp/awakeners
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