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“自分に本音を語ろう”について考えてみた

“自分に本音を語ろう”について考えてみた

このブログ、最初は“集客”とかを
意識して書こうとか思っていたんですけれど

 それが、全部だと思うと、ツライというか
 好きなことも、好きでは無くなるくらいの
 強制感、やらされ感、拘束感。

 “自由に”、“思いのままに”って言ってる本人が
 自分を
 “不自由に”、“しがらみたっぷりに”じゃ、本末転倒

ってことで、金曜日は少なくとも
“今朝のつぶやき”ということで
好き勝手書いてます。

こんな風に、ときに、自問自答であったとしても
自分自身に「本音」で語ってるだろうか?

自分に「ムチャぶり」や「忍耐」だけを
強いてないだろうか?

これに気づいているんなら、まだいいけれど、
気づかずに、「ムチャぶり」「忍耐」をばかりだと
どこかで、その堪忍袋の緒は、
キレて怒り決壊って、なりかねない。

・・・社会の一員として、大人として
   仲間達との関係の中で
   色々な人との関係の中で
全てのことを、我が侭にできない
のは、承知ですし、当たり前じゃないですか。

それと、自分に、有無を言わせず
「ムチャぶり」や「忍耐」だけを押しつけるのは
違うと思うんですよね。

 やりたいことは、やりたい。
 ほしいものは、ほしい。
 やりたくないことは、やりたくない。
 いらないものは、いらない。

 このシンプルな気持ち、衝動。

それが存在することを黙殺しないで。 ってこと。

あるときは、何か工夫をしたり知恵を出したりすれば
その気持ちや衝動を叶えられることもある。

またあるときは、自分にとって、
その気持ちや衝動を抑えても、手に入れたいものが
あって、それを抑えなければならない…もしくは、抑える方が良い
と言うこともある。

 やりたい、欲しいを、押し殺す
 やりたくない、いらないを 押し殺す

それを自分で一度咀嚼、勘案してみる。
“自分でそれに向き合って、考えてみる”
それだけで、自分への信頼感、随分上がりますよ。

だって、話を聴いてくれるんだもん
だって、意見を否定しないんだもん。

否定せずに、話を聴いたその上で、
行動の選択は、これまでと同じでかもしれない。

でも、それは、
あなたが望んだ選択肢を選ばなかったという選択であって、
あなたの意見の否定ではない、ってこと。

そうするだけで、
自分が自分を信用して、“本音を語れるようになる”
・・・自信が持てるようになるんだ。

そして、その関わり方は、きっと
周りから信頼されるその素地になるって
そう思う。

だから、“自分に本音を語ろう”
そう思っている。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2015.2.20 一部改変)
http://ameblo.jp/awakeners/


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