「なんにもかんがえない」で居ようとすると
「なんにもかんがえないぞ」って考える
すると、自分に向かって
「だ・か・らぁ、“なんにもかんがないんだってばぁ”」と
どうしたら良いかを考え始める。
なかなか「なんにもかんがえない」にならない。
いっそのこと、
「なんにもかんがえない」ことをやめてみる。
すると、「なんにもかんがえない」ことは考えなくなる。
一歩「なんにもかんがえない」ことに近づく。
特に無意識で起こってしまうことを、意識的にするときには
「~しない」というコントロールはなかなか困難だ。
常に“しない”ことの内容を意識してしまっているから。
そんなときには、「~しない」代わりに、別にすることを
準備すれば良い訳で・・・
「なんにもかんがえない」代わりに何をしようか。
秋風を感じて、身体の中からわき上がってくる感覚を
ただただ追いかけるのも良いし、
なにか好きな風景の場所で、目から入ってくる光と影を
来るがままに受け入れるのも良いし、
花畑にいって、あるいは、商店街に行って
入ってくる香りを楽しむのも良いですね。
どこかで音楽を入ってくるまま楽しむも良い。
あるいは、逆に、哲学的に「なんにもかんがえない」とは何かを
考えることで、「なんにもかんがえない」以外を考えるのも
おもしろいかもしれない。
そのまえに、何のために「なんにもかんがえない」をしたいのかを
探ってみると、どうも、自分自身のリフレッシュがしたいようなので。
少なくとも今は、“考える”を手放して、「感じる」ことを
やってみよう。
ということで、今日は、それほど構成を考えることもなく
感じるまま、思うがまま、キーを走らせてみました。
ではまた。
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2014.9.9 一部改変)
http://ameblo.jp/awakeners/
Team-Awakeners ひじままさきのNLP/コミュニケーションワークショップ
こちらのHPで紹介しています。→ https://nlp.team-awakeners.com/
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