以前にこちらの記事で
お伝えしたかもしれません。
私達が「できない」と言うときには、
話されていない理由を根拠として
それを「しないことを選択した」
あるいは、自分の持っている
資源(時間やお金、労力)を
それには「使わない決断をした」
ことを意識的、無意識的に言っている。
ということをお伝えしたことがあるかと思います。
子供の頃や学生の頃は、
「できない」というと、色々叱られ
例の「理由」を述べようとすると
「言い訳をするな」といわれ
説明の機会も奪われる
何てことも少なくなかったのでは無いでしょうか?
(最近のお子さんはどうなんでしょうね?)
子ども時代には、親や指導者、いわゆる大人が
子どもにとって良かれと思う事を
「すべきこと」として子どもに(誤解を怖れず表現すれば)
押しつけています。
そして、そのことが子どもの成長を助けたり
子どもの学びになるコトもおおよそ間違いではありません。
しかしながら、自分の中に芽生えた
「できない」という思いには、
「自分が自分で判断する」と言うために
大切な情報が隠れていると思うのです。
そして、それを「確認・説明すること≒言い訳すること」は
自分自身が、どうして「可能性を排除(≒できない)」と
思ったかについてその根拠を自分で探る
つまり、ただの「できない」ではなく、
「条件付き≒何が足りないのだ、何があれば可能なのだ」
の「できない」に変えることが出来ませんか?
多くの場合、「できない(できません)」は、
自分にとって思考停止に入ることのある
マジックワードになりがちです。
・・・できないものは、できないんです。
と「できない」という主張を守るために強弁が
始まる。・・・その性質(パターン)に気づいてみましょう。
たとえば
「君にプロジェクトの責任者を任せたいんだ。」
〜「申し訳ございませんが、できません。」
というような会話があったとします。
自分の能力が足りない(と思っているので)できません
責任者よりも現場担当者の方がいい(と思っているので)できません
私にはまだその器がない(と思っているので)できません
プロジェクトを運営する環境がない(と思っているので)できません
こんな理由が出てくるかもしれません。
あるいはもっと違ったフレーズで出てくるかもしれません。
その時、NLP的には
今「出来ないと思っている理由」を自分が真実だと
思っている根拠(見えること、聞こえていること、感覚)を
再確認する事から始めます。
すると、自分だけが何かを変えれば良いのか
協力者を募ってくれば良いのか、
必要なモノを準備してもらうようにお願いすれば良いのか
優秀なメンバーを集めてもらえば良いのか
いずれにしても、単なる“出来ない”に、
何かしら「試してみることの出来る行動」が
生まれてきます。
すると、「できない」は「できない」のままでいることは出来ません。
行動をすれば、「できた」か「できなかった」かになります。
「できた」であれば、おめでとうございます。
「できなかった」であれば、再び、
「条件付き≒何が足りないのだ、何があれば可能なのだ」に
戻れば良いだけの話です。
「可能性」という言葉をよく使いますが、
僕は個人的に、「何かしらを試すことが出来る余地」
これを可能性だと思っています。
そして私達が上手く行かないとき、
可能性を失っているのではなく、
「試すことの出来る何か」を見落としている
にすぎないのかもしれません。
そして、それは、時間、場所、状況に
こだわればこだわるほど、
見落としやすくなります。
最終目的地は目的地として見失ってさえいなければ
一見、全く関連のないアイディアが
結果として近道になるというような
一見奇抜な可能性の探究への力となるのです。
私達は、自分が思っている以上に
いろんなチャンスや、機会に気づく力があります。
ただし、いつもそれを開きっぱなしに
しておくと、決まるモノも決まりませんから
通常は、可能性を絞るパターンが身についています。
可能性が減ってきたとき、ピンチに陥ったとき
そのパターンを外して「できない」が
見落とした「試すことの出来る何か」を
回復すること。これがNLPで進めたいことであり、
自分をもっと活かして行くキーポイントだと
思いますが、如何でしょうか?
Image credit: ristoviita / 123RF ストックフォト
(初出 Facebook NLPフィールドCafe2014.5.21 一部改変)
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