【今週のひと言】
誰が正しいかではなく、何が正しいか。それこそが重要だ。
(トマス・ヘンリー・ハクスリー/イギリスの生物学者)
It is not who is right,
but what is right, that is of importance.
Thomas Henry Huxley.
私達は良くも悪くも、本能的に“自分を肯定したい”部分があります。
…「じゃ、口論で言い負かされるのはどうなの?」
これも、「自分が正しい」と主張し続けることで
主張している「自分自身を認めてもらえない」状態に
気づかずに我慢できなくなっているのかもしれません。
というように、どんな形であれ
私達は本能的に「自分を肯定したい」部分があるのです。
そして、その「肯定したい」部分は、そのために
いろいろな手段を取ります。
…たとえば、議論をしているとき。
議論というのは、本来は、互いの「主張」が
正しいか正しくないかを意見を交わす(戦う)ものです。
しかし、だんだんとそれがエスカレートして
相手“そのもの”が正しいか、正しくないかに
焦点がずれ始めます。
意見を戦い遇わせる間に、相手から「自分を肯定する」を
侵害されている用に感じ始めるからでしょう。
意見の議論のつもりが人(自分/相手)の戦い合いに
すり替わっているわけです。
ここで、思い出してみましょう。“議論”でするべきことを
「意見」について、正しい、正しくないの
論を交わしているのです。
だれも、互いの“人”について、評価している訳ではないのです。
とは良いながら、議論に熱が入れば入るほど
“相手そのもの”を攻撃しがちなもの。
このときのTIPSを一つ。
意見を戦わすときに、ホワイトボート(やスクリーン)に
それぞれの意見を指させる状態にしておきます。
そして、異論、反論について、ホワイトボードの
「意見」について、反論をぶつけます。
相手ではなく“意見”に対して言いたいことをぶつけた後、
相手の意見を求めるというやり方です。
「相手」に対する議論は、結果として
人格攻撃となり、結果、「声が大きい人」が勝つ
という結論になりがちですから
…その結論は、多くの場合、互いの役に立たなかった
のはすでにご経験のことかもしれませんね。
「今週会議があるんだ」というかたは
お試しください。
何かご質問があれば、こちらからメッセージを
いただければ回答いたします。
どうぞ、良い一週間をお過ごし下さい!
(初出 アメブロ “想いから実現への翻訳家 コミュニケーション・イノベーター”2014.7.21改変)
http://ameblo.jp/awakeners
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