こちらの言い分、相手の言い分
数年前のことです。
日曜日の夜、新宿から山手線で目黒方面に
帰っていたときのことです。
社内はほどよく混んでいます。
目の前には、程よく飲んできたんだろうなと
思われる、男女4名の方が話されていました。
しばらくして、車両が大きく揺れました。
そして、あっ! と思った瞬間、激痛が・・・
スニーカーの右足の甲が
先程の4名の男女うちのお一人のヒールに
踏まれていたのです。
・・・さすがに、大人の対応ができず
「いて〜っ!」と口にしてしまいました。
が、その方は一顧だにせず、
ご友人(?)と話を再開されました・・・
何事もなかったかのように。
僕の心の中では・・・「俺の、俺の話を聞けっ!」です。
正しさの反対は、別の正しさ
あの場で、もし、僕が
「ちょっとあなた、人の足踏んでおいて
ごめんのひと言もないんですか(ないのかよっ!)?」
と伝えたとします。
すると、女性の方にしてみれば
「公衆の面前で、謝罪を求めるなんて
まして、謝罪する何で、恥をかかせるつもり?」
と考えたかも知れません。
・・・運転手の運転が下手だからでしょ?
私は悪くない、とばっちりよ。
何て水掛け論になりそうですよね。
確かに、僕からすれば
直接痛い思いをして、その現場を目の前で見て
実際踏んだのは、その女性だから
その人が謝罪するのが筋、私は正しいと思います。
しかし一方で、
その女性からみれば、
踏もうと思って踏んだのではないし、
そもそも、運転が下手なのだ
だから、私は誤る必要は無い、私は正しいと
思ったかもしれません。
「俺の話を聞け!!」って言っても
正しいVS正しいで
話なんか決着がつくはずもありません。
正しさを証明しても、
相手が受け入れるかどうかは分からない
私達が相手との議論で、話が平行線に終わる場合、
互いに「正しさ」の証明にフォーカスが
合いすぎているときがあります。
つまり、話の内容、中身を議論をすることなく
自分の正しさを証明することに労力を
使っているのです。
先程お伝えしたように、
「正しさ」と「別の正しさ」との議論を
しているのですから
どちらかの正しさが敗れることになります。
そして、敗れた側には、どうしても
しこりが残りますから、
結果として、勝った方の「正しさ」も
受け入れられる可能性は低くなります。
2つ以上の「正しさ」を戦わせることは
最終的にすべての「正しさ」が
否定されることになるようです。
つまり、強引に「俺の話を聞け!!」と
正論を押し切っても、
結果、「あんたの話は聞かねぇよ!」ってことに
なっているかもしれません。
まずは、互いの「正しさ」を聞いて
「違い」に気づいて、その内容に焦点をあてて
共有点を見つけ出す、ここが新しい
「正しさ」の伝え方になります。
なにしろどちらの意見も「正しい」のですから
「間違いだ」っていきなり相手の全否定
から始まるのは、どう考えても間違いですよね。
ちょっと思い出した、数年前の
ヒールで踏まれた事件。
その4人の方は、渋谷駅で何事も無かったように
降りて行かれました。
今考えれば、あそこで
本当に、「誤れ」VS「悪くない」の
戦いをしていたら、
月曜日は、心も体力もぐったりだっただろう
そう思います。
今、自分の意見を、相手に伝わるようにするために
必ずしも自分の正論だけを押しつけるのでは
上手くいかないこと。
相手も正論であることに気付いておくだけで
平行線の話に解決が早くなり
始めるかもしれませんよ。
では。
(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2012.9.14一部改変)
http://nlpfield.jp/mailseminar.html
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