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▽▲不安にならないと〝不安〟になる?▲▽

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Image credit: fotovika / 123RF ストックフォト

子供の頃、右手の小指をぶつけて
ねんざをしたことがあります。
ねんざですから、
指を伸ばして固定します。

固定している間、小指をたてたまま
鉛筆を使ったり
お箸を持ったりします。

・・・小指をオネェな感じに強制的に立てて使う事になります。

しばらくして、固定せずに済むように
なりますが、もうお気づきでしょうが、
指のねんざは治っているのに
あいかわらず、小指をたてたまま、
鉛筆を使ったり
お箸を持ったりすることになります。
ほとんど〝気にする〟ことなしにです。

私たちの〝心・身体〟は、とても賢いのです。
故障したり、不自然なままであっても
その状態を前提として
慣れる事が出来ます。・・・自然なモノに
することができるのです。

やっと、本題ですが・・・
私たちは、〝不安〟について考える事に慣れすぎると
物事がスムーズに進んで、第三者から見ると
何の問題も無い様なときにでも・・・・
〝不安〟がそこにないことに違和感を持つ
・・・不安に思ってしまうという
端から見ると不思議な反応を始めます。

これもまた、わたしたちの〝心・身体〟の
賢さゆえの反応なのです。
ねんざが治っても、小指をたてて使っちゃう
この働きと同じなのです。

僕自身は、小指を知らずに立てるいることに
違和感を持って気付くように意識をし始めると
小指を立てることをせずに済むようになりました。

同じように、不安になってしまうことの方に
違和感を持って気付くように意識をしてみるのことが
効果があるかもしれません。

・・・こんなパターンたくさんあるんですよ。
   さりげなく、私たちは順応力高いですから。
   自動で働いてることに気付いたら、
「さすが、段取りいいねぇ、自分、
  ありがとう、このパターンはもう卒業で良いんだ」
こんな感じで、気軽に、軌道修正しませんか?
〝不安〟があるのが〝安心〟っていうのは、
 とってもおかしなことですもんね。

ただ、憶えておいて欲しいことがあります。
〝不安〟があることで、安心を得ようとする働きも
〝不安〟を排除することで、安心を得ようとする働きも
どちらも、自分自身の為を思って起こる働きです。

ただ、必要なのは、その両方が働いていることに
気付いて、〝今〟どちらの方が適しているか
効果があるかを〝自分で選ぶ〟ことだと言うことです。

ときには、〝不安〟があった方が良い時もあれば、
やっぱり、〝不安〟はただの不安で役に立たないときもあります。

必要に応じて、本来、〝自分が選べる〟ということ
ここだけ外さなければ、来年もばっちりです。

安心して、いろんなことと向き合うことできますから。

(初出 Facebook NLPフィールドCafe2011.12.15)
http://www.facebook.com/nlpfieldcafe

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