“わがまま”と聞くと、どんな感覚を
持ちますか?
・だれかが“わがまま”に生きているのを見たとき
・自分が“わがまま”に生きれたらなぁと思っているとき
きっと“気持ちいい”だろうなぁって
思っているのかもしれません。
それでは、こんな時はどうでしょう?
・だれかが“わがまま”し放題しているとき
・自分が“わがまま”しちゃったなぁと振り返っているとき
これって“良くない”よなぁ、後ろめたいよなぁ
なんて思っているのかもしれません。
せっかくの想いのまま“本能”のまま“わがまま”も
「良くない」、「後ろめたい」という
感覚が合ったとしたら、喜びも半減
というか、相殺されて、マイナスかもしれません。
だからといって、私達に
“理性・知性”がなかったら
と考えるのはすこし、見当違い。
私達の本能は、
何も遮られることなく
自分の想いのままに
生きられる…ということに
動機があるということ。
表現で言うところの
“わがまま”をしたいのではないんです。
後ろめたさを覚えることも
“良くない”を感じることも実は
望んだ状態ではないということ。
本当の(?)…本能の欲するところの
“わがまま”ではないということ。
どこかのテレビ局のスローガンのように
“心地よく”なければ
“わがまま”じゃない
と言っても過言ではない。そう思うんです。
この世界に、“私”という存在しかなかった
とします。環境もすべて私(の掌中)にあります。
その時には、全ては、自分の想いのまま
文字通り“わがまま(我が(思うが)まま)”です。
現実は、私は私と私を取り巻く環境との関係が
存在します。
私達が、息をするのももったいないほど
集中したいことがあったとしても
私達の肉体は、酸素を必要としますから
呼吸が不可欠です。
“集中”を実現する為に
呼吸をせずに、生命を絶たれるのは望むところではありません。
すると、“呼吸”をしながら、
“集中”をするという、
新しい方法を・・・関係性と調和しながら実現する方法
を開発する事ができます。
私達は、自分が単体で存在することはなく
必ず“関係性”の中に生きているということを
前提にすることが求められますし、
そう考えておくと、物事は容易に進み始める
という訳です。
つまり、仮に、今のあなたに取って
“わがまま”を表現するのが難しいとするならば
“わがまま”を表現する事を難しくする
相手、そしてその関係性があると言うだけ。
そもそもが、私達は自分が思うままに
しようと、“本能”は欲していますし、
その協力者である“理性・知性”は
その思うがまま“わがまま”を実現すべく
つっこみを入れたり、ブレーキをかけたり
あるいは、新しいアイディアを見つけたりしているのです。
ここに、“本能”と“知性・理性”との
協力“関係”が存在すると考えてみるのは
如何でしょうか?
そして、
私達は『わがまま』を実現する自由があります。
あの、アーティストの曲の歌詞を借りれば
“自由になるために生まれてきた”
私達は、自分の“わがまま”を“心地よく”実現する
ことが出来るはずなのです。
もちろん、時に、現在の技術では難しく
新しい発明が必要な事もあるかもしれませんが、
歴史の中でさまざまな人が、
発明、発見、工夫を重ねて
ある種の“わがまま”を、誰にも気兼ねすることなく
実現してきたと思いませんか?
このことは、言い換えれば、
自分自身とその周囲との関係を
“見直す”試み、“作り直す”試みです。
そのために活かせる方法を
NLPを中心としたご提案で
お届けしていきます。
image credit: usamedeniz / 123RF ストックフォト
(初出 Facebook NLPフィールドCafe2015.7.29 一部改変)
http://www.facebook.com/nlpfieldcafe
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