ちょっと思い出して見て下さい。
口げんかや口論の始まりを。
些細な、ひと言であったり
ちょっとした言い方が、
相手の、あるいはこちらの
まさに感情のスイッチを入れてしまう。
そうなってしまえば、
話していた“内容”はどこかへ、
「あやまれ、お前こそあやまれ」と
それぞれの“正しさ”の主張がはじまります。
傍から見ている人達は、
“いったいどんな結末にしたいんだろうね。
あなた方二人とも、“誤り”だよ…”
なんて見ているかもしれません。
人は、“感情の動物”と言われることもあるように
相手の“感情”を大切に扱うことは
コミュニケーションを円滑に進めるのにおいて
大切な事です。
一方で、
「大切にする」ことと「自分が我慢する」こととを
一緒にしてしまって、その人と話すことが
苦しくなってしまうこともあったのではありませんか?
コミュニケーションを取るのは
互いの意図を伝え合うことにあります。
・自分がして欲しいことを相手に伝えてしてもらう
・相手がして欲しいことを受け取ってする。
・互いの考えを理解し合う。
このとき、必ずしも相手の意見を
理解する必要はあっても
納得する必要はありません。
…異なる意見は存在することそのものは自然ですから。
互いの意見を理解し合い、共有点を探ることそのものも
コミュニケーションの役割ですから。
しかしながら、多くの上手くいきにくい
コミュニケーションには、上下関係が存在します。
会社で言えばの上司、部下、家庭では親子の関係です。
すると、そこには、どちらかが「我慢/抑圧」する
状況になりやすくなります。
さらに、本来は対等な関係だとしても、
「我慢/抑圧」が存在するとしたら
ここに、上下関係になっていることに
気づいておくことができます。
…そうです、意見が合わない、
反対意見や、反論を受けることを
避けようとして、
「相手の意見を尊重する」様な振る舞いをしつつ
結果として
「自分の意見を我慢する」ことをしていませんでしたか?
相手の意見を尊重することとは、
「相手の言いなり」になることではありません。
「相手の意見」をしっかり理解することであり
その上で、自分は、
それに賛同するか、賛同しないか。
あるいは、
自分が賛同するため必要な事(条件など)を
相手に伝えて、新しい意見を生み出すこと
なのです。
つまり、対立する構造であればあるほど、
伝える会うための“話の舞台”を整える。
…私達は、互いの意見の相違を越えて
互いにとって納得のいく“意見”を生み出すために
意見を戦わせ合うのだ!
このように設定した舞台上では、
少なからず、決定後に影でこそこそ
不満を言う人は減るはずです。
ビジネス書などで、会議を運営する役割である
「ファシリテーター」というのは
この舞台づくりと、舞台の登場せずに(意見を言わずに)
あとで不満を言う人を減らすのも一つの役割です。
相手の意見を尊重するためには、まず、
自分自身の意見を自身が同様に尊重すること。
議論の存在意義は、
相手に自分の意見を押しつけることでも
相手の意見を否定することでもなく
互いの意見を理解し合って、
それを越えた、さらに適切な結論を
導くことにあるのではないですか?
ちょっとしたミーティングであれ
家族内、夫婦間、の話し合いであれ
“話し合うための舞台”を整えること
相手の存在を、意見を尊重することで
ゴールのない消耗戦、
ただの口げんかから
互いの思いを分かち合う
価値ある“議論”へとバージョンアップ
して見るのは如何ですか?
(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2014.12.9 一部改変)
http://ameblo.jp/awakeners/
Team-Awakeners ひじままさきのNLP/コミュニケーションワークショップ
こちらのHPで紹介しています。→ https://nlp.team-awakeners.com/
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